シンエヴァと、創作者と一つのはしか

シンエヴァンゲリオンを見た感想なんですが、
「自伝は創作者の麻疹」だと思ったんですよ。(また極端な感想ですが)
罹患率が高く、後年になるほど重症化し、できるだけ早いうちに罹患して免疫をつけたほうが対処もしやすい。

もちろんエッセイだったり、島本漫画のように作風として持っていく人も居るし、創作は常に何らかの作者人生の反映になっているので、
テーマそれ自体は良いものです。
しかしその扱いにはある一線があり、
例えば長い作品の途中から中途半端に第四の壁を超えたり、
キャラクターに急に別ベクトルの思想を埋め込むと、たいてい宜しくないことになる。

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半ば余談として、自伝アニメーションの一側面について。

ICAFという、日本の専門/大学を対象にした学生アニメーション上映会がありまして、
毎年のように趣味で全国の学生作品を見ていると、
卒業制作/修了制作においてMVに並ぶ一つのジャンルと言えるほどに、自分をテーマにした作品が多く作られているのがわかります。
繰り返しますが、それ自体は良いことだと思っています。
自己表現は創作の大切なファクターですから。
しかし概観すると、そういうテーマの作品がとてもとても多い。

ある美大では、2-3年次ぐらいに「自分の歴史をテーマにした短編アニメーション」を作るのを課題としている所もあります。
個人的な考えですが、これはある種の予防接種のようなものかなと考えています。
2-3年次に一度作っておいて、この誰もが惹かれうるテーマに対する免疫をつけておく。
そのまま同様のテーマで研ぎ澄ました卒業制作に進むもよし、
これで課題達成して、別のテーマに進むもよし。といったような。

実は、自分も学生時代にそういう類の作品を作ったことがあるのですが、ぶっちゃけ「こういうのは早めに作っておこう」という目論見もありました。
こういうものは一度早めに作っておかないと尾を引きそうだ、という予感があったので。

これはあくまで個人的な意見ですが、
自分自身をテーマにした作品、もし何か心にたまるものがあるような場合、
何か壮大なプロジェクトの前に、短編でも何でも、早めに一度出しておくのが良いのだろうと思っています。
軽くても一度。
その後さらに研ぎ澄ませたり深化するのも良いけれど、
しかし年を経ると中々に厄介、そんなテーマのひとつな気がしています。

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もしかしたらこんな感想を抱くのも、そういったアニメーション作品を見てきて、ある種の自伝メタネタに慣れしてしまったせいなのかもしれません。

そこで振り返って考えると、宮崎監督は流石だなあ、と思ったのでした。
「風立ちぬ」もアニメーション制作や創作行為に対して、ある種メタ的な自伝めいた側面を持っているのですが、
きちんと物語やキャラクターを選び、暗喩をかぶせ、創作論のテーマ(ピラミッドのある世界)をサイドに置きつつ、一貫した物語として成立させている。
きちんと作品として整理されている。

シンエヴァの方はあまり言うのもなんですが、一時代を築いた暗喩や内省的な作品の総本山としては、自伝的なメタネタの扱いが薄皮を被せているもののかなり直接的で、挿入が安直に感じたのでした。「鬱からの回復」「エヴァ乗らない方がよかったわ」「オトシマエ」「ゲンドウのピアノ」など。
今回は特にメタ的な迷いがそのままストーリーの不整合や流れのちぐはぐさにも直接影響してしまっているように感じており、劇場の帰り道に思い返して個人的にテンション下がったのは「オトシマエをつける」で、
結局監督側も、先へ進むという気概はもうなくなって、一度始めてしまったものを似たようなところにわかりやすく着地させるという、オトシマエに終わってしまったんだな、と、正直に言って失望したのでした。
この内容にきちんとしたスタッフを長年付き合わせるという勿体なさも頭をよぎりましたが、まあそれは別件。ストーリー/構成がグズってるなあ、という印象。


あまり比べるのもよろしくないのでしょうが、
自分は最近のシリーズのリブートで言うと、「アネモネ」の方がきちんと割り切って世界観を先に進めつつ、作者のメタ感も織り交ぜつつで面白かったです。
最新作「エウレカ」はまた"少女の終わり、少女の始まり"として、エヴァがとりあえず付けたオトシマエとしての"少女の終わり"より、テーマ的にその先へと進んでいるような気がするので
こちらも勝手に期待しています。

お祭りなのであまり水を差したくなかったのですが、自分の中ではきちんとまとめておきたかったので、ちょうど風立ちぬが話題になったこの時期に。